シュピーゲル

水平線上の鏡

2019/04/13

f:id:julyjulydawn:20190413110421j:imageウツギとミヤコワスレ。白と紫、どちらも色がハッキリしてて綺麗。

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お茶を習って20年、今日ようやく気づいたことがあるので忘れないように書いておきます。

 

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月2回、土曜日の午前中がお稽古の時間。朝9時頃から始まって、終わる頃には窓から入り込む陽が簾の影を作って掛け軸やお花にかかるこの景色が好きなんです。

これまでは仕事の都合もよくこの時間帯のお稽古を10年ほど続けてこられた。以前は先生と私の一対一でのお稽古だったけれど今では一緒にお稽古をする人もいて、その人と先生と和やかにお茶室で過ごす時間が、ほんの少しの特別な、ゆっくりと流れる切り取られた時間のように感じていて。

今まで自分の人生の幸せというものをあまり考えてこなかったし、幸福になるような人間でもないなと感じていたけれど、もしかすると、お茶室で過ごすこの時間が自分にとっての幸福で、守らなきゃならない大切な時間なのかもしれないと今日になって思いいたった。

自分の人生がどういうものなのか分からないし、どう生きるべきかも、どう生きたいかの気持ちも何も無くなって久しかったけれど、お茶室で過ごす土曜日の午前中が無くなるかもしれないと考えた時、それを口に出した時、ショックを受けた。

20年も習っているわりにはお点前の手順もいまだに「次はどうだっけ?」なんてこともしょっちゅうで、心得だとかもきっとさっぱりだし、長い時間の中には、お茶を続けることが嫌になった時もあった。上を目指しているわけでもない。

それでもこうして続けてきて、多分、お茶は自分の中の一部になっているんだと思う。「お茶を習うことのなかった私」がどんな私なのかを知る術は無いから本当にそうなのかは分からないけど、多分きっとそうなんだと思う。

 

だからこれからは、今まで漠然と「できることなら続けられたらいいな」と思っていたこの時間を守る、そのための努力をしようと思う。自分の生き方に組み込もう。そう考えた時、人生の道みたいなものの輪郭がおぼろげながら見えたような気がして前向きな気持ちになった。まだちゃんと先に続いているなと。

とはいえ自分の都合だけでどうにかなることでも無いだろう。例えば先生がお年を召されて教室を閉じられるなどもあるだろう。この時間に幕が下りる時は必ず来る。それでも、大切にできるうちは大切にしていきたい。